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中越地震 : 2004/10/27
DIARY/TOPICS 2004/11/04 18:18:56 0/0

2004/10/27。地震発生から5日目。

電気が無い生活というのは、日の出に起きて、日の入りで寝るというリズムになる。
それは明らかに現代の生活とは違うリズム。

奇妙なことに、太陽が出ている時間は冬が迫るにつれて短くなってきているのに、実際には一日、一日が長くなってくるように感じていた。

この日の朝から体内にある時間間隔が狂ってきたのを自覚していた。
わずか3日間の滞在なのに、数ヶ月が過ぎたようだった。

2003/10/27。引き続き曇天。少しだけ晴れ間が見える。
昨晩からの冷え込みにより寒い日だった。

朝食は豚汁と焼きおにぎり。暖かくて美味い。
弟は徹夜の復旧作業を終えて戻ってきていた。
寝るために日本酒を飲んでいる。

対岸の崩落現場では、朝早くから緊急車両が集まっていた。3機のヘリが低く上空を旋回する。
何かあったのだ。
ラジオを聞いていると、行方不明の親子が乗った車が崩落現場で見つかったらしいとの一報。
崩落現場を見に来る人達が多くなってきた。

今日は昼過ぎに現地を出発する予定。
情報通りならば、国道8号で柏崎まで出れるはず。
後は北陸道〜上信越道〜関越道というルート。
これで東北道〜磐越道〜北陸道〜上信越道〜関越道という長大な周回ルートを辿ることになった。

10:40。
炊事小屋での一休み。
なにしろ一日が長い。

小屋に繋がれている犬の落ち着きが無い。
しきりに小屋の外に出たがる。
そして不安げな表情を浮かべるのだ。
明らかに主人に対する甘えとは違う。

それはやってきた

鳴り響く地鳴り。
突き上げるような縦揺れ。
それに続く不快な横揺れ。

緊張の一瞬が過ぎ、小屋から出る。
空を見ると、鴉の集団が渦を書くように灰色の空を飛んでいる。
鴉の鳴き声が終末を告げる喇叭のように聞こえてくる。

すぐ側には、どこかの撮影クルーが放心したかのように空を見上げている。

崩落現場が見える場所に急ぐ。
対岸の緊急車両のサイレンが空しく鳴り響いている。

弟が携帯を手にしていた。
崩落現場の裏手、浦柄方面で道路の復旧工事を担当している仲間がいるらしい。

昨日は大きな余震が無かった。
気象庁もM5以上の余震の発生確率を下げたばかりだった。

初めて体験する震度5強の揺れ。

これは恐怖以外の何物でもない。
さらに余震が続くことを予想して、近所の人たちに家や車庫、小屋の中から出るように、火の始末をするように呼びかける。

そして車に乗り込み急いで出発した。
今の余震で交通網が遮断されるかもしれないのだ。

案の定、国道8号は長岡市と柏崎市の間で通行止めとなり渋滞が酷かった。
カーナビと地図と記憶を頼りに長岡市から三島町へと抜け、国道352号で出雲崎町に出て、国道116号を南下して西山町(田中角栄の実家がある町)から刈羽村経由で柏崎市を目指した。

14:00過ぎ、北陸道。
米山SAで遅い昼食。
崩落現場からの救出劇をTVで見た。そこにいる人達、全員が食い入るように見ていた。

16:00。上信越道の新井SAで20分の仮眠。
関越道に入ったのが(確か)15:30頃。
自宅前には19:40に到着。

総走行距離996km。
距離も時間も長い3日間だった。

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