被災地の深夜。
南西の方向から地鳴りが聞こえてくると、細かな縦揺れの後に不快な横揺れがやってくる。
数秒間、地面が震えた後、振動は東北方向に過ぎ去っていく。
それは地下深くに棲んでいる何物かが這いずっているようなイメージを想起させるのである。
2004/10/25 17:30。
震源地の小千谷市に到着。街灯や家々の明かりが無い為、周りの様子ははっきりとわからない。
避難場所は、親戚の家の横にある空き地だった。
農業用のビニールハウス(奥行き約5m、幅約3m)と、建築現場で使われるような鉄パイプで小屋が建てられていた。
ここには、親戚一家を中心として4世帯が集まっていた。
ビニールハウスの中には合板が敷かれており、その上に布団と毛布があった。
中にはお婆ちゃんが2人と、風邪をひいているらしい女の子が寝ている。
鉄パイプの小屋は、炊事小屋になっていた。
家から持ち出した炊事道具や食料が、集荷カゴに入っている。
小屋の真中には炉が作られて火があった。よく見ると鉄板が敷かれている。
暗い照明の中、さらによく見ると肉を焼いていた。
どうやら焼肉パーティの時に到着したらしい(苦笑)
これなら安心だ。
食事をしながら発生当時の様子や、今の状況を聞いた。
「体験したことが無い、突き上げるような揺れ」
剛毅で知られている親戚一家の主も、少しばかり疲れた様子だった。
間断ない余震は、簡単に人の神経を消耗させる。
状況は想像していたよりも悪くは無かった。
親戚は専業農家のため、自前の井戸を持っているから水の心配はいらない。
ビニールハウスのような資材もあるため、避難場所も設営できた。
さらにその息子は大工、ウチの弟は土方、一緒にいる近所のおじさんは山歩きの名手。
サバイバルのための技術と資材が揃っていたのだ。
場所も小千谷市の北端に位置し、比較的古く安定した地盤。
長岡へ通じる国道17号にも近いので、いざとなれば市外へ物資調達もできる。
あの地震の規模を考えたら、極めて運が良かったと思うしかない。
しばらく話していたら、国道の復旧工事に行っていた弟が戻ってきた。
地震発生した時間、彼はあの崩落現場の裏手にある集落で林道工事を管理していた。
現地の区長と一緒に集落の人を安全と思われる場所に集めて一晩過ごした後、2時間かけて徒歩で山道を降りてきた。
そしてそのまま復旧工事を担当している。
「山鳴りが怖くて、寝れなかった。とにかく怖かった」と言っている。
そして酒を飲みながら言い始めた。
道路復旧は大事だが、それを監督する役人の態度に頭にくると。
余震や土砂崩れによる2次災害の危険も当然ある。
現場を管理する弟にとっては、現場作業員の安全を第一にしなければならない。
自分も含めて命を張っているのだ。
しかし役人は「3日で復旧しろ」って言ってるだけ。
何もしないし指示もしない。
それどころか、車の中でいびきをかいて寝ている始末。
ウチの弟は温厚で口数は少ないほうだ。
しかしよほど腹にすえかねたのだろう。
その役人(当然、現地の人ではない)を、車から引きずりだして安全確認させたらしい(笑)
自分、弟、イトコ、近所のおじさんと4人でしばらく話をした後、寝ることにした。
ビニールハウス内の雑魚寝である。
火の始末をして、割り当てられた場所に潜り込む。
ビニールハウスがあるとはいえ、晩秋の露営の寒さは厳しい。
緊急車両のサイレンが追い討ちをかけ、とどめは余震である。
地鳴りと共に揺れがやってきて、極めて落ち着かない。
余震があってもビニールハウスはゆるく揺れるだけなので倒壊の心配はない。
中々寝付けなかった。
結局、呆然とした浅い眠りを繰り返して、10/26の寒い朝を迎えた。
Trackback :: http://www.loungelabel.com/mt/mt-tb.cgi/420
- »中越地震 : 2004/10/26
- »中越地震 : 2004/10/25 part 2
- »中越地震 : 2004/10/25 part 1
- »2004/10/30
- »中越地震 : 報告。
- »Eternal twenties.
- »SNSの限界。
- »2004/10/23:502x502
- »AGILITY
- »noWax
- »more entries...