2004/10/25 16:30。
人の気配が無く、灯りというものが存在しない町。
ありふれた日常の風景がまったく異質のものとして、薄暗闇の中で曖昧な輪郭を浮かべている。
先に進めば進むほどその闇は濃くなってきている。
本能として人間が持っている完全な闇への恐怖は、このような時に忍び寄ってくる。
2004/10/23 18:00頃に発生した、新潟県中越地震。
その震源地である小千谷市に向けて出発したのは2004/10/25 9:00。
外環〜東北道〜磐越道〜北陸道を経て、三条燕ICについたのは15:30。
三条あたりは極めて平穏な様子で、あれだけの地震があったという気配さえ見当たらない。
さらに買出しをした後、国道8号から国道403号で与板町に抜ける。
この道は小千谷市から日本海方面に抜けるルートの一つ。
国道8号が見附市近辺で不通という情報を事前につかんでいたため、遠回りだが信濃川を早めに渡るこのルートをとった。
与板橋のたもとで新潟方面に向かう車が渋滞している。
それを横目に、与板町〜三島町〜長岡市を通過して越路町に入る。
これまで地震の影響があまり見受けられなかった。
しかし越路町に入ってからは、明らかに被害の様子が見えてきた。
大きく傾いた電柱。
立派な瓦屋根の崩落。
道路から飛び出たマンホール。
段差のある橋のつなぎ目。
地震発生から3日目。
道路上の危ない個所は応急修理がすでに行われていた。
間に合わない場所は、コーンが置かれている。
そして街中に明かりが無かった。
人いや生物の気配がしない。
完全に街はその機能を停止していた。
国道351号に入り、越路橋たもとの交差点を小千谷方面に向かって直進。
震源地に近いにも関わらず越路橋は通行可能のようだ。
そのせいか、普段よりも交通量が多い。国道8号が不通の今、柏崎方面に抜ける裏道になったのだろう。
重要な交差点なのに、信号機は停電で使い物にならない。
かと言って、警官がいるわけでもない。
お互いになんとなく合図をして交差点を通過している。
これでよく事故にならないものだと思う。
そのまま国道351号を進む。
小千谷市に向かう車は自分の車だけ。
時折、対向車が来るので、道は不通になっていないことを確信する。
小千谷市五辺に入る。
ここは自分の学区でもあるので、中学生の頃は自転車で遊びに来ていたところ。
よく知っている場所。
集団避難した越路町とは違い、ここら辺の人たちは幾つかの家庭でまとまって避難しているようだった。
道端で炊事をしている人たちがいる。
人の姿を見て安心した。
高梨手前。
大きな用水路にかかる橋と道路の段差が20cm以上あった。
これは、橋という構造物が地震によって沈下しづらいために起る現象。
段差と余震に注意して橋を渡る。
段差でタイヤがバーストする危険もあるし、橋の途中で余震が起きたら生きた心地がしない。
妙見堰。国道17号バイパスとの交差点。
バイパスは交通止め。越の大橋は通行可能なようだ。
とすると、この351号が小千谷市内に入る数少ないルートの一つになるはず。
現に反対車線は、かなりの混雑だ。時折、自衛隊の車両が通過する。
ゆっくりと進む。五辺あたりと同じように、自宅の車庫に避難している人が多いようだ。
わずかな光が漏れている。
17:00を過ぎたころ、母が道端で立っているのが見えた。
「ほぼペーパードライバーに近い自分がよくこれだけ運転できたなぁ」と、妙な安堵感を感じる。
とにかく被災地と呼ばれる場所に到着した。
(part2に続く)
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