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Individual Archive

1995年3月20日。
あの時、自分は社内旅行でオーストラリアに行くために成田空港にいた。
空港のターミナル内は出発案内のアナウンスと賑やかな会話が聞こえてくるだけ。
おそらく空港の日常風景だったのだろう。

都営浅草線経由で来た同僚が「電車が遅れててさ」と言ったのを覚えている。

その時はまだ事件の詳細を知らなかった。

初めて事実が分かったのは翌日の朝、オーストラリアのケアンズで新聞を読んだ時だ。
見出しに「Terrorism、Poison、Gas、Attack」の文字が並び、
ヘリから撮影したと思われる写真と並んで
旧オウム真理教の教祖の写真が大きく取り上げられていた。

日本を離れていたせいか、あまり現実味が無かった。
しかし一歩間違えれば、都営浅草線を使用していた同僚が巻き込まれていた可能性があったのた。

日本の安全神話は、この時に崩壊していたのかもしれない。

あの朝、地下鉄でサリンを写した
このページは、事件当日もっとも近くで写真を撮影した方が作成されたものである。
当日のことが生々しい筆致で記されている。

明日は教祖の幻影を身にまとった麻原彰晃こと松本智津夫被告の1審判決の日。
判決が出たとしても、オウム真理教から直接危害を加えられた人、間接的に被害を受けた人の心は救われない。

いまだに愚昧なエセ宗教という毒に浸かっているオウム真理教の信者達は、現実から目を逸らし続けるのだろう。

そして大多数を占める傍観者達は、いずれこの事件のことを意識的に忘却する。

しかしこの事件は決して風化させてはならないのだ。
日本人の精神世界における歪んだ悪しき面として。

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